私はなにかに属したいのかも!映画『廻り神楽』
映画『廻り神楽』(遠藤協・大澤未来 2018)www.mawarikagura.com
神楽衆という、その土地のエリート男軍団的なものが、三陸のあちこちをまわって舞を披露。なんと340年以上つづいている!その巡業の様子に密着した映画。
この廻り神楽は引越し祝いから法事まで、あらゆることに対応(?)していて、
獅子に噛まれるといいことがある。とってもシンプル!
で、震災があってすぐに復活するほど“強い”風習だ。
映画に出てくるみなさんは被災していて、それはそれは壮絶な思いをされたのはわかる。
実際何人か被災された方とお話して、自分のぬるさを痛感したこともある。
でも、この映画に関しては、正直、
うらやましい!!!
しかなかった。
私は、歴史のない住宅街で生まれ、親戚も少なく、流れで東京にすんでいる。
自分が深く属するものは、家族だけだと思っている。
会社や学校は違う。
それは自分が選択したもので、自分がそこに属する必然性がなかったから。
だから会社や学校にずっぷり属するのは、依存のような気がして気持ちが悪い。
自分の意思とは関係なくいつの間にか属しているもの、これにとても憧れる。
「血」に次ぐ繋がりは「土地」だと思う。
そして土地にしっかりコミュニティがあれば、「個人」の心の安定につながる。
きっと三陸沿岸は厳しい自然環境にいるから土地の個性が強いのではないかと思う。
自然の脅威によって命を落とすことが多く、その度に心の支えが必要だから。
むかし飢饉とかで苦しんでた日本では、辛すぎて宗教にすがっていた。
そうでなくても地域には何らかの信仰が根付いていた。
自然と共存するために山を神様と思ったり。
たぶん自分たちに制御できないものに対して、そうやって納得してきたのかも。
でも今は便利になって人間が頂点みたいになって、
山や海を讃える文化もなくなった、特に都会や新興住宅地は。
しかしいま、また「心の支え」が必要な時代になってきた。
原因は人間が生み出したものによる苦しみだ。労働や貧困、私は結婚や出産。
たとえば、私は一時期とても強く「所帯を持ちたい!」と思っていた。
大量に仕事を課せられ体力的にも精神的にも辛くて、その辛さに耐える理由が欲しかったからだ。
(当時は自分のせいだと思っていたが、ブラック労働から脱した今は自分のせいだけではないと断言できる)
だがその「所帯を持つ」ことも困難だ。
ああ、救いが欲しい。
だから三陸の人たちがうらやましい。
その土地に生まれ育っただけで、強い心の支えが得られるから。
でも、3.11のようなことがあるからこその文化なんだよなあと思うと、
羨ましいでは済まされない。
私にも三陸のひとにも共通するのは、願う心だけだ。