独身アラサー女の処方箋(メンタル専門)

結婚出産カウントダウンに苦しむ元社畜アラサー♀が自己救済活動をする記録。救済の種は主に二次元コンテンツ。(映画、テレビ、漫画、特にドキュメンタリー好き)

社会の底辺に染み入る歌声「藤岡藤巻」おれらの歌編

藤岡藤巻さん、知ってます?

大橋のぞみちゃんの後ろでポーニョポーニョしてた、

スーツ姿のおじさま2人組です。

 

 

この人たち、とんでもないです。

 

 

 

活動内容を知ると、素直にポニョの歌がきけなくなります。

よくはやおさんはこの人たちに歌わせたなあ!やっぱ天才!!!

 

 

私が彼らの真の力を知ったのは10年前。

たまたまニコ動でこれを見つけて衝撃を受けました。

「死ね!バレンタインデー」


「藤岡藤巻」・死ね!バレンタイン・デー!

 

「鼻血を出して死ね」というのが最高にしびれます。

 

ちなみに「死ね」シリーズは2つあり、もうひとつもたまらないです。

 

 

「死ね!クリスマス」

バックコーラスは「死ね!」の大合唱!非常にポップに連呼しています。

エスキリストからサンタクロースまで、あらゆるものをボッコボコに叩いています。

(忙しい年の瀬に誕生するなとか、ひげくらいちゃんと剃ってこいとか)


死ね!クリスマス ニコニコ動画より転載

 

そう、「イケてないやつのうた」が、

ほんとにお上手なんです。

(いわゆる「おれらのうた」)

 

 

逆にこんなの聞いてるから、イケてない根性が育まれたのかもしれない。

そのぐらいハマっちゃう恍惚感がある。

 

ちゃんと歌詞をきくと、 ただイケてるやつらをたたいているだけじゃないんです。

ユーモアでもって、対抗しているんです。

「イケてる」人はそのままで勝負だけど、

我々は「イケてない」からプラスアルファの知恵を備えて勝負するのだ。

 

それがユーモアであり自虐であり、ひがみ根性かもしれないけど、

とにかく捨て身で泥まみれの精神がそこにあるんです。

これに私は強く共感できる。

イケてないやつを救う歌なんです。

 

 

 

 その証拠に、彼らはこんなに優しい歌も作っています。

「ダメですよ」

死にたくなったりもうイヤーってなった人に向けた歌です。


藤岡藤巻 - 這樣不行喔 - ダメですよ(中文字幕)

 

きれいな言葉じゃないからこそ、素直に受け入れられるんですよね。

会社でボロ雑巾になっていた頃、救われました。

うわべのきれいそうな言葉で散々痛い目みてきたので。

 

 

いまは活動していないのかしら。一度生でききたかったなあ。

 

 

 

私はなにかに属したいのかも!映画『廻り神楽』

映画『廻り神楽』(遠藤協・大澤未来 2018)www.mawarikagura.com


映画『廻り神楽』予告編

 

神楽衆という、その土地のエリート男軍団的なものが、三陸のあちこちをまわって舞を披露。なんと340年以上つづいている!その巡業の様子に密着した映画。

この廻り神楽は引越し祝いから法事まで、あらゆることに対応(?)していて、

獅子に噛まれるといいことがある。とってもシンプル!

で、震災があってすぐに復活するほど“強い”風習だ。

 

映画に出てくるみなさんは被災していて、それはそれは壮絶な思いをされたのはわかる。

実際何人か被災された方とお話して、自分のぬるさを痛感したこともある。

 

 

でも、この映画に関しては、正直、

うらやましい!!!

しかなかった。 

 

私は、歴史のない住宅街で生まれ、親戚も少なく、流れで東京にすんでいる。

自分が深く属するものは、家族だけだと思っている。

会社や学校は違う。

それは自分が選択したもので、自分がそこに属する必然性がなかったから。

だから会社や学校にずっぷり属するのは、依存のような気がして気持ちが悪い。

 

自分の意思とは関係なくいつの間にか属しているもの、これにとても憧れる。

「血」に次ぐ繋がりは「土地」だと思う。

そして土地にしっかりコミュニティがあれば、「個人」の心の安定につながる。

 

きっと三陸沿岸は厳しい自然環境にいるから土地の個性が強いのではないかと思う。

自然の脅威によって命を落とすことが多く、その度に心の支えが必要だから。

 

むかし飢饉とかで苦しんでた日本では、辛すぎて宗教にすがっていた。

そうでなくても地域には何らかの信仰が根付いていた。

自然と共存するために山を神様と思ったり。

たぶん自分たちに制御できないものに対して、そうやって納得してきたのかも。

 

 

でも今は便利になって人間が頂点みたいになって、

山や海を讃える文化もなくなった、特に都会や新興住宅地は。

 

 

しかしいま、また「心の支え」が必要な時代になってきた。

原因は人間が生み出したものによる苦しみだ。労働や貧困、私は結婚や出産。

 

たとえば、私は一時期とても強く「所帯を持ちたい!」と思っていた。

大量に仕事を課せられ体力的にも精神的にも辛くて、その辛さに耐える理由が欲しかったからだ。

(当時は自分のせいだと思っていたが、ブラック労働から脱した今は自分のせいだけではないと断言できる)

 

だがその「所帯を持つ」ことも困難だ。

 

ああ、救いが欲しい。

 

 

だから三陸の人たちがうらやましい。

その土地に生まれ育っただけで、強い心の支えが得られるから。

 

 

でも、3.11のようなことがあるからこその文化なんだよなあと思うと、

羨ましいでは済まされない。

 

 

私にも三陸のひとにも共通するのは、願う心だけだ。 

 

 

女は意志ひとつあればよいのだ『極私的エロス・恋歌1974』

ドキュメンタリーでは超有名、原一男監督の傑作です。

「自力出産シーン」があるときき、下世話な動機で観てみました。


原一男監督『極私的エロス・恋歌1974』再DVD化予告編

 

自力出産どころか、

今カノによる元カノインタビュー!

元カノとその新恋人を撮影!

どうやら今カレに夢中らしいぞ!

からの監督、泣きだす!

からの元カノとのハメ撮り!

(時系列前後してるかも)

 

なんじゃこりゃー!!!!

最高じゃないかー!!!!!

 

 

そもそも監督自身、同棲したことのある元カノ、みゆきさんが沖縄に移り住むときき、

彼女をカメラで撮ることにして、関係を絶たないようにしたという。

未練ですねえ。

 

実は監督との間に子供ができていたのですが、

作中では当たり前のようにみゆきさんが子供を連れて沖縄に発ちました。

子供が欲しけりゃ結婚が先だと思っていたけど、

産みたきゃ産めばいいもんな。

そもそも、結婚しなくったっていいもんな。ほほぉ〜(感心)

 

映画のなかでは、最後みゆきさんは子を持つ女性のシェアハウスに、

子供2人と住んでいます。最後まで結婚していません。

 

ほんとみゆきさん、

「自分に必要なものがわからないやつはダメ」

と迷いなく言い放つように、

自分の意志のままに動きます。

もちろん子連れで、生きるのに一生懸命。でも彼女の意思はとっても自由です。

 

 DVDの特典映像で監督さんの最近のお話が収録されていましたが、

当時はみゆきさんのような意思を持つ女性は少なくなかったとか。

今より情報が少なく女性の社会的地位も今ほどではなかったろう。

戦うように生きて子供を産み育てている彼女の姿が印象的でした。

 

 

 

さてそんな映画から約半世紀がたった今。

アラサーの私は子供ほしいし結婚したいし、でも実現できなくて苦しんでいる。

(遠距離の彼に結婚の意思を伝えたらやんわり断られた、でも好きで別れたくない)

 

でもよく考えて?

こんなに個人の生き方が多様化してるのに、

「結婚して一緒に暮らす→出産」なんて画一されたルート、

そりゃ皆簡単に乗れないでしょうよ。

 

 

結婚を目的にしがちだけど、

果たしてそれが私に必要なことか?

 

私は家族が欲しいんだ。

本当は実家の両親のもとに戻りたい。

でも彼らは私より先に死ぬから、

私と同じかそれより若い、新しいメンバーが必要だ。

パートナーや、子供が欲しいんだ。

深いつながりさえあれば、最悪一緒に暮らさなくてもいい。

 

遠距離の彼も、そのまま遠距離結婚だったら受け入れてくれるかもしれない。

それが叶わないなら、彼との関係を維持したままかしらないけど、

実家に戻って、彼か誰かの子供を産んで両親と育てるのもありだ。

結婚しなくたって希望は叶えられる。

 

 

「お父さんがいないとかわいそう」とか「無責任」とか、

社会がつくる空気感にあたって、ただれそうになるかもしれないけど、

覚悟さえあればなんとでもなる。

 

ていうか父親がいなくても子供には問題ないでしょうよ。

祖母は結婚せず女手一つで母を育てた。私は祖母も母も尊敬している。

父親のいない友人が幸福そうに暮らしているのを知っている。

 

「自分はなにがしたい?」

これをクリアにして、

それを叶えるありったけの手段を考える努力が必要かもしれない。

安易に街コンとか行く前にね。

 

結局、どんな作品をみてもこの結論に至ります。

 

 

 

ちなみに。

出産もだけど、セックス中の自分も見てみたいから監督(元彼)に撮影依頼したって、

みゆきさん最強かよ。

 

恋愛や結婚に絶望するアラサーに薦めたい映画『恋とボルバキア』

映画『恋とボルバキア小野さやか・2017)

よくあるシチュエーションかもしれないけれど、

長年付き合っている彼に結婚の意思がなさそうで絶望している私がちょっと救われた。

監督さんはじめ出演されている方々に感謝。

(さきに、私は異性愛者の女だと述べておく。)

 


映画『恋とボルバキア』(小野さやか監督)予告編

 

ね、面白そうでしょ?ね?ね?

異文化見学なんて甘い気持ちで観たらハラワタえぐりとられっぞ。

俺らの話だ、俺らの。

 

 

【どんな映画?】

ざっくりいうと、女性の姿をする人たちを追ったドキュメンタリー。

彼女たちの事情は様々。

ホルモン異常で女性化してアイドル活動してたり、

女装を趣味にしてるうちに男性に恋しちゃったり、

週末に女装しお出かけする一家のお父さんだったり。

 

そういう知り合いが一人もいない私にとっては、それだけでも興味深い内容。

ところが…

私(アラサー)が直面してることと同じやんー!!!

と前のめりになってしまった。

 

 

 【辛すぎ共感シーン】

レズビアンの女性が、その彼女であるバイシェクシャルの女性に「子どもが欲しい」と告げるシーン。

バイシェクシャルのかたは、もとの体は男性で姿は女性。

おそらく条件的には2人で子どもができるのだろう。(違っていたらごめんなさい)

 

 

告げられた彼女の困ったような、この場にいないような、なんともいえない表情。

泣きだした彼女とのギャップがなんとも苦しい。

 

私もこの空気、知ってる。彼女の表情も知ってる。

私が彼にいつか結婚したいと言った時、こんなかんじになった。

絶対ないわけではないけど今はそれ自体考えられないという返事だった。

 

  

女性になった彼女にそう告げるのにどれだけ覚悟が必要だったろう。

私も返事次第では別れを覚悟しないとなと思っていたけど、

ダメだったら次だと割り切ることもできた。辛すぎるけど。

でも彼女たちが次の相手に巡り会える可能性は、“一般的には”、私より低いはずだ。

(ビジュアルも人柄も魅力的なのでポテンシャルは断然私より上だが)

 

あと、普段から相手をみていると、告げる前に返事はなんとなく予想がつく。

言ったら困るだろうということも分かっていたけど、聞かずにはいられなかった。

きっとレズビアンの彼女は散々考え尽くしただろう。

それでも告げたのだ。

 

そして告げられた側の気持ちは、申し訳ないけれど、想像を絶する。

性に対して自由に見えながら、

誰よりも生き方や幸福を性にしばられて苦しそうに思えた。

 

彼女たちは、私なんかよりよっぽど重いものを抱えている。

それでも姿や恋愛で自分を貫く姿に尊いものを感じた。

 

性と関係なく大事なのは「自分」である。

そこに性が絡んで事態が複雑になっているのだ。彼女たちも私も。

 

 

 【自分第一、性は2番、だとしても。】

映画に出てくる彼女たちは、誰よりも「自分」に向き合っている。

「自分」でいるだけですら、労力が必要だから。

 

メイクも服装も手間がかかる。

そして社会の目、親の目。

社会だったり遺伝子的なというか、彼女たち自身にも根付いちゃってるような、

根本的な「男」と「女」の枠組みとの摩擦感。

 

しんどくても苦しくてもこの姿を選んでいるのは、そうありたい「自分」があるから。

女性の姿になると決めた瞬間だろうか、その姿を続けていくうちにだろうか。

女性の姿をする彼らのなかには、半ば意地誇りのようなものも感じる。

そうじゃないと「自分」じゃないみたいな、脅迫感も感じる。

 

 

ある意味彼女たちは「女の姿でいる」という分かりやすい指標があるので、

それが自分と向き合うことになっている。

 

私はどうなのか。

何がしたいのか、本当は何を実現したいのか。

 

子供がほしいのは、幸せになりたいからだ。

実家にいたころは毎日幸福だった。

両親がいて兄弟がいて、毎日笑って食卓を囲む、そんな家族が欲しいのだ。

 

でも、本当に私の幸せはそうなのか?

意識せずに女であることによって、自分の実現したいものが遺伝子に決められていないか。

 

唯一分かっているのは、

こうやって日々悶々と考えていることを表現するとなんだかすっきりすること。

とうことでブログを始めたわけです。 

 

 

【教訓?】 

結婚できないとかは枝葉のことにすぎない。

そんなことで揺さぶられるような幹にならない!

「自分」という根っこをしっかり張っていくっきゃない!

耐えるしかない!戦うしかないのだ!

 

思い描く幸福が実現できないなら強くあるしかない。

だって彼女たちはキラキラしているから。

 

 

ド素人が始発で「ポーの一族」観に行ったはなし

歌劇自体は数回観たことがあって、見るたびに楽しさがわかるように。

年始に「ポーの一族」をやるときき、友人を誘って当日券狙いの観覧予定を立てた。

1月入ってすぐの11時公演。チケット販売は9時半からだ。

 

ちなみに「ポーの一族」は何年も前に序盤しか読んだことがない。

美少年が入寮して美少年と絡む話だよね?ぐらいのふざけた知識量である。

当日券並びながら予習するかぐらいの熱意だった。

 

ところが!Twitterを覗くとおそろしい情報が! 

 

7時前で立ち見席かもだと…!? 

 

幸い始発で出れば6時頃には着く距離にいる。

じゃあもう諦めるか、始発勝負しかないじゃないか。

よろしい、ならば戦争だ。

 

(私は負けず嫌いである。)

 

 

作戦を立てる。

経験者さん方のブログやツイートから得た情報は以下。

・「椅子」「カイロ」「防寒具」必須

・待機場所には屋根がある

駅から劇場まで「宝塚ダッシュ」がある

 

まさかこの淑女の集いにそんなものが存在するだとッ…!!?

こういうことか!?

 

 一気に私の闘争本能が牙を剥いた。

 

まずは準備だ。

 

父に折りたたみ椅子を借りた。背もたれつきのかさばるやつだ。

母にカイロを所望した。10個ぐらい、ぜんぶ2年前に期限が切れている。

さらに祖母が生前使っていた超ぬくいブランケットも拝借した。

これらを登山かってぐらいの大きなリュックに詰め込んだ。

 

服装は、

ヒートテック長袖を2枚重ね、ウール100%のセーターにジャケット。

下はヒートテックのタイツに分厚い靴下を重ね、登山かってぐらいのごつい靴をはく。 

毛糸の帽子にマフラー、風を通さない手袋で完全防備だ。

 

そして早めに就寝し朝4時に起き、家を発った。

 

でっっっかいリュックを背負い、動きやすそうなズボンにごつい靴。

まるで登山にいくかのような出で立ちである。 

 

友人と約束していた最寄駅に5時頃に到着。

なんと、友人はちっっさいリュックにスカート、しかもブーツ。

 

そんな装備で大丈夫か?!」

 

古いネタだとは重々承知だが、思わず口から出てしまった。

(もちろん「大丈夫だ、問題ない」と返す彼女は心得ている。

 さらに事前に伝えていた椅子とカイロも装備していた。)

 

予定通り始発電車に乗りこむも、

誰か乗るたびに「あのひとも宝塚?!」と、周りが敵に見えてくる。

宝塚ダッシュへのプレッシャーと昂りを抑えるので精一杯だった。

今思うと、寝不足で頭がどうかしていたのだろう。

 

 

そして電車は宝塚に到着。

ドアが開くと同時に、足早に階段を降り改札を出る。

 

いざ、宝塚ダッシュだ!!

 

…と思ったら、誰もいない。

そう、この便でそんな欲むき出しのやつは、私しかいなかった。

なんだか悔しいので自主的にダッシュ。

極寒の中、早朝ダッシュはきつい。普段運動してないもの。

途中でやめたくなったが、門までノンストップで走りぬき、到着すると

 

30人以上並んでいるではないか!(到着は6時すぎ)

 

達成感もほどほどに、最後尾に失礼する。

先頭の方々を見ると、あまり椅子の方がいない。

直接敷物の上に座っている方が多かった。アルミ素材のやつ。

なんだか気が引けたが、3時間半居座るのに椅子なしでは耐えられないので、

友人との間を詰め遠慮がちに基地を展開した。

 

準備していると、続々と人が集まってくる。

ダッシュしなかったレディー達だろうか。なんだか気恥ずかしい。

 

でも確かに、ダッシュするに越したことはない、と結論づけておく。

少しでも先に並んだ方がいい席がとれる確率が高いからね!

しかも体があったまって序盤が楽だった!イエス

(汗をかかない程度に、かくと余計体冷えちゃうから)

 

 

もう、あとは3時間半ひたすら待つだけ。

幸い、私の装備で大丈夫だった。辛くない!

ほかに気づいたことは以下。

・マスクあると顔あったか〜

・手袋ないと手の感覚がなくなる

・足元も感覚なくなりがち。靴にカイロ突っ込むべし。

・思ったよりすぐ時間は経つ。

・早朝は、たった30分の間にもどんどん人が増える。

・だったら、できる限り早い時間に並んだ方がいい。

・6時だと大丈夫な可能性、大。

 

 

トイレ情報(掃除のお姉さんが教えてくれた)

門の前の道を、宝塚駅と反対方向にちょっと進むと、右手に駐車場の入り口がある。

地下に伸びる通路を降りるとすぐ。ウォシュレットついてる!

 

夜が明け、意識が朦朧としだした頃、劇場のかたが来てアナウンスを始めた。9時前だ。

「9時15分に順番に入場ご案内します〜」とのことで、

みんな10分前くらいに荷物をまとめはじめ、時間になったら一列のまま劇場に案内されていく。

おそろしい人数だ。

 

そこからさらにチケット売り場まで一列で案内される。

ちょうど9時半頃から販売が始まり、受付が1組ずつだったので、

少し待って座席を確保。2階席の一番後ろだが、やや中央より。十分だ。

 

おなかぐーぐーだったので、劇場入り口すぐの食堂的なところで、

600円の朝食セットでお腹を満たした。

合宿所の朝食みたいな質だが、あったかいご飯と味噌汁で、生き返った。

ちなみに同額で和食と洋食の2種類が選べる。

 

さて情報的にはこれで十分かと思うので、

肝心の内容については一言だけ言っておきたい。

 

 

最高!!!

演出、歌、どれをとっても最高。

あの怪しくファンタジーな世界観が、宝塚歌劇の非現実な雰囲気と相性抜群。

転換もスムーズかつセットの使い方も多様で、飽きることなく場面が展開展開!

また曲も大変よい。踊りも、特に集団のシーンは圧巻だった。

 

 

あと面白かったのは、

エドガーとアランの絡みになると、

みんな前のめりでオペラグラスをざっと構えるのね。

もちろん私も前のめりになったさ。

 

 

 以上、これから行く方は素敵な時間をどうか楽しんでください。

極寒を耐えるだけのご褒美が、そこにはあります。