恋愛や結婚に絶望するアラサーに薦めたい映画『恋とボルバキア』
よくあるシチュエーションかもしれないけれど、
長年付き合っている彼に結婚の意思がなさそうで絶望している私がちょっと救われた。
監督さんはじめ出演されている方々に感謝。
(さきに、私は異性愛者の女だと述べておく。)
ね、面白そうでしょ?ね?ね?
異文化見学なんて甘い気持ちで観たらハラワタえぐりとられっぞ。
俺らの話だ、俺らの。
【どんな映画?】
ざっくりいうと、女性の姿をする人たちを追ったドキュメンタリー。
彼女たちの事情は様々。
ホルモン異常で女性化してアイドル活動してたり、
女装を趣味にしてるうちに男性に恋しちゃったり、
週末に女装しお出かけする一家のお父さんだったり。
そういう知り合いが一人もいない私にとっては、それだけでも興味深い内容。
ところが…
私(アラサー)が直面してることと同じやんー!!!
と前のめりになってしまった。
【辛すぎ共感シーン】
レズビアンの女性が、その彼女であるバイシェクシャルの女性に「子どもが欲しい」と告げるシーン。
バイシェクシャルのかたは、もとの体は男性で姿は女性。
おそらく条件的には2人で子どもができるのだろう。(違っていたらごめんなさい)
告げられた彼女の困ったような、この場にいないような、なんともいえない表情。
泣きだした彼女とのギャップがなんとも苦しい。
私もこの空気、知ってる。彼女の表情も知ってる。
私が彼にいつか結婚したいと言った時、こんなかんじになった。
絶対ないわけではないけど今はそれ自体考えられないという返事だった。
女性になった彼女にそう告げるのにどれだけ覚悟が必要だったろう。
私も返事次第では別れを覚悟しないとなと思っていたけど、
ダメだったら次だと割り切ることもできた。辛すぎるけど。
でも彼女たちが次の相手に巡り会える可能性は、“一般的には”、私より低いはずだ。
(ビジュアルも人柄も魅力的なのでポテンシャルは断然私より上だが)
あと、普段から相手をみていると、告げる前に返事はなんとなく予想がつく。
言ったら困るだろうということも分かっていたけど、聞かずにはいられなかった。
きっとレズビアンの彼女は散々考え尽くしただろう。
それでも告げたのだ。
そして告げられた側の気持ちは、申し訳ないけれど、想像を絶する。
性に対して自由に見えながら、
誰よりも生き方や幸福を性にしばられて苦しそうに思えた。
彼女たちは、私なんかよりよっぽど重いものを抱えている。
それでも姿や恋愛で自分を貫く姿に尊いものを感じた。
性と関係なく大事なのは「自分」である。
そこに性が絡んで事態が複雑になっているのだ。彼女たちも私も。
【自分第一、性は2番、だとしても。】
映画に出てくる彼女たちは、誰よりも「自分」に向き合っている。
「自分」でいるだけですら、労力が必要だから。
メイクも服装も手間がかかる。
そして社会の目、親の目。
社会だったり遺伝子的なというか、彼女たち自身にも根付いちゃってるような、
根本的な「男」と「女」の枠組みとの摩擦感。
しんどくても苦しくてもこの姿を選んでいるのは、そうありたい「自分」があるから。
女性の姿になると決めた瞬間だろうか、その姿を続けていくうちにだろうか。
女性の姿をする彼らのなかには、半ば意地誇りのようなものも感じる。
そうじゃないと「自分」じゃないみたいな、脅迫感も感じる。
ある意味彼女たちは「女の姿でいる」という分かりやすい指標があるので、
それが自分と向き合うことになっている。
私はどうなのか。
何がしたいのか、本当は何を実現したいのか。
子供がほしいのは、幸せになりたいからだ。
実家にいたころは毎日幸福だった。
両親がいて兄弟がいて、毎日笑って食卓を囲む、そんな家族が欲しいのだ。
でも、本当に私の幸せはそうなのか?
意識せずに女であることによって、自分の実現したいものが遺伝子に決められていないか。
唯一分かっているのは、
こうやって日々悶々と考えていることを表現するとなんだかすっきりすること。
とうことでブログを始めたわけです。
【教訓?】
結婚できないとかは枝葉のことにすぎない。
そんなことで揺さぶられるような幹にならない!
「自分」という根っこをしっかり張っていくっきゃない!
耐えるしかない!戦うしかないのだ!
思い描く幸福が実現できないなら強くあるしかない。
だって彼女たちはキラキラしているから。